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高齢出産後に実母が重い?毒親?母親からの過干渉ストレス実話

育児

嫁と姑の関係が難しいのはとてもよくある話ですね。

 

嫁姑は、もともと他人ですから、いろいろな価値観も違い、問題も出てくるのは想像できます。

 

しかし、意外にも実母との関係に確執を抱えて悩む娘が多いことは、なかなか表面化しないようです。

 

もし、あなたが実母との関係に悩んでいるのなら、悩んでいるのはあなたひとりじゃないということを覚えていてほしいのです。

 

私ひとり・・・という孤独感は悩みを余計に重くします。

 

母の怒声に対する恐れ、母の泣き落としに対する罪悪感の渦の中にいても、

 

どうか孤独に思いつめないでください。

 

 

産後に実母の過干渉がストレス!重い!

本来なら、産後に実のお母さんがそばにいてくれたらとても安心なはずですよね・・・

でも、そうでないこともあるのです。

 

実の母親なのに姑より怖い

 

妊娠出産で里帰りするママも多いでしょう。

 

そのときの悩みを話すママがいました。

出産してひと月しかたっていないのに、実母から、のんびり授乳していないでさっさと床をあげて働きなさいと強くしかられて実家で休めないから、自宅に戻ってきたと。

 

これは姑さんではなく、実の母親なのです。

 

また、赤ちゃんのお風呂上りに今どきはシッカロール(ベビーパウダー)はパタパタやりませんね・・・汗腺がつまるからいけないと指導されるようになりましたから。これをいくら説明しても、「うんうん」と聞いたふりをするだけで全然やめない実母さん・・・

 

他にも娘の若いママの意見を全く無視して孫の育児に過干渉すぎるなど・・

 

実母さんに子供をちょっと預けたら、その間に子供の髪をバッサリカットされてしまったなど・・・

 

若いママの育児方針をまるで聞かない実母さんが実際にいます。

 

実母からの電話が多すぎる!助けてくれたのは夫!

私の場合、出産後、別居の母が一日中何回も電話してきて困りました。

 

優しい言葉の電話なら嬉しいのですが、私が一生懸命、離乳食を手作りしていることを非難して、

 

(台所で赤ちゃんを)必ず、やけどさせるに決まっているから、そんなことはやめなさい!とか

 

赤ちゃんなんて柱にひもで縛りつけておけばいい、昔はそうしたんだ!とか

 

必ず失敗するよ!など、わざと自信を喪失させることを繰り返し言うのです。

 

呪われてるような気分になりました。

 

夫が電話に出て、私の実母に静かに注意してくれました。母はそれからは呪いの電話をかけてくることはなくなりました。

 

娘が過干渉な母親に悩む場合、その助けになってくれるのは、盾となってくれる夫です!

別居の母が連絡もなしに、私の家まで押しかけてきたことがありますが、

 

夫が対応して母を家にあげず、帰ってもらったこともあります。

 

私は夢で、自宅の雨戸を大きなゴリラの妖怪が押し破って侵入してくるという悪夢に苦しんでいたのでした。

 

この妖怪ゴリラはまさに私の母親です。

出産・育児が始まってから実母との関係に行き詰ることはよくありますが・・・

結婚前に、すでに実母との確執に気付いていたでしょうか?

それとも出産後の体力的に弱っているこの時期に気づいたでしょうか。

結婚前も実母からの過干渉に飲み込まれていませんでしたか?

 

2017年1月13日から放送されたNHKドラマ10『お母さん、娘をやめていいですか?』では、恋人ができたことをきっかけに、母親の過干渉が強化され、苦しむ娘の姿が描かれていました。

 

そして、このドラマに監修協力したカウンセラー信田さよ子さん(原宿カウンセリングセンター所長)は、2008年4月に母娘問題を浮き彫りにした本を出しています。

 

『母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き』(春秋社)です。

背筋が凍りつくような母娘問題の現実が、赤裸々に書かれています。

母が重くてたまらない 墓守娘の嘆き [ 信田さよ子 ]

 

息子は異性であるため、心理的に一体になりきれない部分がありますが、母娘は同性ですから、なんでも自分と同じように感じているはずと、自分の趣味や考え方を押し付けたりして、娘が別の人格であることを認めない母親がいます。

 

母娘一体化を、娘に強く求めるのです。娘の幸せは自分が一番よく知っていると思っていますし、

 

自分の介護を娘がして当然、家の墓は娘が守って当然と言い募ります

 

娘の自立を邪魔する母親

 

娘もある時点までは、母親の過干渉な支配を、愛情と信じて幸せと思っていますが、

 

就職や恋人の存在など、親から離れる時期になって猛烈に支配されていることに気がついて悩むことが多くなります。

しかし、母親に問題があることをなかなか認めたくないものです。

 

母親は自分の存在の原点ですから、そこが揺らぐような気がして怖くてなかなか真正面から問題に向き合うことができないのも事実です。

 

問題を見て見ぬふりをしてそのまま結婚・出産すると、

自分が我が子との関係で、実母と同じこと知らず知らずのうちに繰り返してしまいます苦しみはこうして連鎖してしまいます

 

母娘関係の悩み体験談

娘が実母との関係に悩むとき、

実母自身の愛情関係が、幼い頃に希薄だったことに気付くことがあります。

 

不幸な幼少期を過ごしていた実母

 

私はものごころついた頃から、母親との関係にしんどさを強く感じていました。

 

私の母は、7歳で母親に先立たれました。弟が二人いて、お姉ちゃんなのだからしっかりしなさいと、とても厳しく育てられた上に、母親に早く先立たれ、母親の愛を十分に受けられずに育ちました。

 

私の幼い頃は育児放棄状態で、私にとっては祖母が実質母親でした。

 

母は、兄のことはかわいがりましたが、娘の私には無関心で、私が出産してから、母に私が赤ちゃんのときのことを尋ねても「何も覚えていない」と言い、兄が赤ちゃんだったときのことばかり楽しそうに話しました。

 

母親の過干渉・支配が始まった

 

私が中学生になってからは、母親からの猛烈な干渉支配が始まりました。

 

暴力や、さまざまな支配がありましたが、母が私の声の質に自分の好みを押し付けてくるのがいちばんつらかったです。

 

私の声はソプラノですが、母はアルトで太く低く、母は私にも低くて太い声を出すように要求するのでした。兄も母に味方して二人で私に「太い声を出せ」としかるのです。宝塚の男役のように男っぽくなれとも言いました。私が女であることを認めたくないのです。

 

このような家庭でのストレスため私は中学生のとき声が出なくなったことがありました。合唱コンクールでリーダーをやっていたのでほんとうに困ったのですが、まわりの友人たちが優しい子たちで、家庭でいろいろ苦しみがあって私の痛みが直感でわかる子たちでしたから、私をあたたかくフォローしてくれたので責任を果たすことができ、さらに声を取り戻すことができました。

 

自分の声がわからなくなるということはとてもこわいことで、自分の顔がわからないのと同じくらい不安なものです。

 

その後、声楽の先生との出会いがあり、声楽に詳しい耳鼻科のお医者さんを紹介され、自分の声帯がどんな声が出る声帯かみてもらうといいよと勧められて、のどの乾燥の相談のついでにみてもらうと、やはりソプラノの声で軽くリリカルな声が出るよと言われました。私はやっと自分が何者であるかがわかった気がしました。

 

 

母親がほんとうの私を認めないというのは恐ろしくさみしいことですすべてがこの調子ですから、私が大学に進学できたのも、母が行きたくても行けなかったから、娘の私に夢を重ねてのことで、大学に入ってからは今度は激しく嫉妬されてややこしいことになり、勉強を邪魔されてたいへんな思いをしました。

 

私が大学を卒業して、正社員として働き出したときは、母に「今まで育ててやったんだから給料から毎月食費として6万円出せ!」と要求されました。

 

仕方ないので毎月給料の三分の一、6万円母に渡しましたが、私が残業で遅く帰宅しても、夕飯も作ってくれませんでした。

 

母は結婚についてもいろいろと口出ししたがり

 

「好きな人といっしょになってそのうえ幸せになるなんて絶対認めない!」と叫びました。

 

勉学であれ結婚であれ、私が幸せになることに全力で嫉妬する母親の姿は、

 

もはや「」ではなく、「」でした。

 

切迫早産入院でさらに実感

 

私は、出産2か月前に切迫早産入院をしましたが、

 

このとき、入院仲間の5人の妊婦さんが、立会い出産について、夫よりお母さんの立会い出産がいいと口を揃えておしゃべりしているのを聞いてびっくりしました。

 

私は絶対に夫のほうがいいです。

 

母では何をどんなひどいことを言われるかわからないので、苦しみのある大切な場に母がいられては、私が生きていけないのです。

 

切迫早産入院では、世の中にはほんとうにお母さんと仲が良い娘がいるのだと知り、私がその点恵まれていないことをあらためて実感したのでした。

 

 

まわりは非難しないで

 

こうして、母親について苦しんでいることを、うっかりまわりの人に話すと、親不孝とか、親の悪口を言っているとか、娘の私が世間から非難されました。

 

 

このように、娘は、家庭で苦しみ、さらに世間に出て苦しむのです。

 

 

大学まで出させてもらって恩知らずだとか、大学が母の愛の証拠のように言われました。実際は母に大学での勉強を邪魔されてたいへんだったのですが・・・

実母は、私が大学の授業のための勉強をすることにも嫉妬して、徹底的にいじめて邪魔したので、

私はすっかり疲れ果てて消耗し、体をこわして教育実習に行けず、

中学・高校の教師になる夢を壊されてしまいました。

 

母は私が大人になって手の中に納まりきらなくなるのがとてもいやだったのです。そして、母自身は大学に進学できなかったので、娘の私のほうが最終学歴が上になること、ものすごく嫉妬していました。

 

 

 

しかし、こうして私は悩みながら親子関係や教育学について大学で勉強していると、母親について悩んでいるのは私だけではないことがだんだんわかってきたのです。

 

 

古く遡れば、グリム童話の白雪姫の継母は、もとの原作では継母ではなく、実母だったということ。

 

娘に嫉妬する母親という問題は、大昔から存在していたのでした。

 

 

高齢出産でよかった・・・

 

 

このように私は、若い頃は自分の母親についてものすごく悩みました。

 

 

母親に愛されていない私が子供を愛せるか、特に娘を授かったら、正しい愛で愛せるか不安でした。

 

 

しかし、私はさいわいにも祖母に愛されていたので、精神的に愛情豊かな土壌に生きていることに気づき、ほっと安心しました。ひとりでも愛してくれる人がいれば、人は強く生きれるのです。

 

 

そして、自分の存在の原点についてですが、私は高校生のころ、学校で配布されたギデオン協会の聖書を読み、その後、母親のおなかのなかで私を造られたのは、創造主なる神様だと知り、

私の命は人間の母親よりもはるかに大きい存在の神様からきているとわかったので、自分の存在ということで不安を覚えることはありませんでした。

 

それはあなた(創造主なる神)が私の内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられたからです。

 

私は感謝します。あなたは私に、奇しい(くすしい)ことをなさって恐ろしいほどです。

私のたましいは、それをよく知っています。

私がひそかに造られ、地の深い所で仕組まれたとき、

私の骨組みはあなたに隠れてはいませんでした。

あなたの目は胎児の私を見られ、

あなたの書物にすべてが、書きしるされました。

私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。

(旧約聖書 詩編139-13~16)

 

その後、さまざまな人々との出会いがあり、ホームレスの人たちに炊き出しのボランティアをしたり、精神的な病の人たちと接する機会もあり、自分の世界観を広げていく中で、自分がどんな人間なのかが掴めてきて、落ち着いてきたのです。

 

大人の女性で憧れを持って慕うことのできる人、つまり心の母となる女性も見つけました。

 

 

母親のかわりとなる存在は、実在する人でなくてもいいのですが、愛着をもって慕うことのできる存在がいると、

あなたの心が安定します。

 

私の場合、修道女マザー・テレサや画家ターシャ・チューダー、

精神科医で『生きがいについて』の著者神谷美恵子先生、

京都大原の古民家に住むベニシアさんなどが、ライフスタイルのお手本となりました。

そうして年を重ねるうちに、実母を静観する余裕もできました。若い頃、悩みの渦中で子を授からなくてよかったと思います。

 

 

 

カウンセラー信田さよ子さんは言います。

 

 

「他人を支配すること」「他人を愛すること」は、実は重なっていて区別がつきにくい。だから、常に自分のしていることを「所有や支配になってはいないだろうか」と振り返る、絶えざる意識が必要になる、と。

 

 

そして、家族に大切なのは、他者性によって生まれる「思いやり」だと言います。

 

 

家族といえども別の人間である、保つべき距離感があるということです。

 

この健全な距離感を作るためのアドバイスがこの本に書かれています。

『逃げたい娘 諦めない母』幻冬舎 信田さよ子・朝倉真弓 著

 

保つべき距離感が作れるようになるまでは、お盆休みや年末年始の帰省を見合わせるのもありです。

 

今回は、娘から実母を見た目線、つまり娘の立場からお話しました。

 

 

では、自分が母親になって娘をもったとき、母親の立場から娘に接する中で気を付けなければならないのはどんなことでしょうか

 

我が子に不幸を連鎖させることは、絶対に阻止しなければなりません!

 

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