42歳での高齢出産のちょうど一年前、流産を経験しています。
つらく悲しいことでしたが、この悲しみをどうやって乗り越えたか、
そこからお話を始めたいと思います。
桜とともにやってきて、桜とともに天に帰った小さな命
初めての妊娠がわかったのは、桜のつぼみがほころび始めるころでした。
しかし、最初から胎児の心拍が弱く、お医者さんからは難しいかもしれないと言われました。
子宮腺筋症であることも発見されました。自宅で安静にして大事にしていましたが、
桜が散るとともに小さな命は天に帰って行ったのです。ひと月もちませんでした。
言葉にならない悲しみに打ちひしがれました・・・
考えられる流産の原因
お医者さんも、はっきりこれと言い切れるものではありませんでしたが、
流産の原因はいくつか考えられました。
いちばんの原因と考えられるのは、子宮腺筋症という病気でした。
子宮腺筋症とは?
子宮腺筋症は、子宮内膜に似た組織が子宮の筋層内にできてしまう病気です。
子宮内膜症は子宮以外の場所に組織ができるのですが、子宮腺筋症は子宮にできるのです。
また、子宮腺筋症は、子宮筋腫のようなこぶはできず、子宮全体が大きく固くなっていきます。
子宮筋腫や子宮内膜症と合併していることも多い病気です。
その症状は、重い生理痛、過多月経、貧血が主な症状で、進行とともに症状は激しさを増します。
子宮が大きくなると、膀胱や腸など周りの臓器や神経を圧迫して、生理のときでなくても腹痛や腰痛がひどくなります。
子宮腺筋症になると受精卵が着床しにくくなるので、不妊の原因にもなります。
加齢による卵子の老化
婦人科系の病気の他に、加齢による卵子の老化が流産の原因になることは
よく知られています。
このとき私は42歳ですから、卵子の老化がだいぶ進んでいても当然のことですね。
高齢男性の精子力
もう一つ考えられる原因は、夫の精子力です。
男性も加齢するほど流産の確率は高くなります。
女性も、また世間の人々も、不妊や流産の原因は女性だけにあるように
女性だけに原因を探したがることが多いのですが、
男性に原因があることもたくさんあるのです。
私が流産したとき夫は54歳でしたから、流産の原因がほんとうに私だけにあるのか、
ほんとうに卵子の老化のみが原因だったのか、
もしかすると精子の老化が原因とも考えられるのです。
もし流産の原因が精子にあったとしたら、
流産の処置の手術まで受けた私は、文字通り体をはって命をかけて
夫を愛しているのだなと、
我ながら夫への愛に自分でも驚きました。
妊娠はほんとうに夫と妻の愛の結晶で
どちらか一方ががんばってできることではないと
あらためて感じ入りました。
あるお医者さんの考え~流産もお産のひとつと考える~
流産後、慢性的な腹痛がずっと続いている中、本屋さんで読んだ本で、
東洋医学に明るい産婦人科のお医者さんが「流産もお産のひとつと考える」と言っておられるお話を読みました。
それによって、流産をポジティブに捉えられるようになりました。
東洋医学の捉え方
東洋医学に希望を持ち、流産のあと、地元の漢方薬局で不妊改善のために漢方処方をしていただくようになりました。
その薬剤師さんも流産を前向きに捉えていて、
最初のお産では、それまでに溜まってきた体内の余計なもの(食品添加物などの物質など)も排出されるので、
第一子はアレルギーやぜんそくなどの弱さを抱えることが多くなるということで、
流産は悲しいけれど、次の妊娠のために子宮の環境が整えられたことになったのだとお話してくださいました。
翌年の高齢出産大成功への過程のひとつとして、大事な避けられない道だったのかもしれません。
そして、一年間の漢方治療を続けた結果、再び妊娠することができました。
流産で亡くなった愛しい我が子には、お母さんの子宮を整えるという大きな使命があったのです。
西洋医学のお医者さんもびっくり
この妊娠は、流産のときの産婦人科のお医者さんにとってはものすごい奇跡だったようです。
お医者さんが流産後の処置をしてくださった中で、子宮腺筋症のひどさがよくわかっていたそうで、
そのときは黙っていましたが、再び妊娠するのは難しいと思われたそうです。
そのお医者さんは西洋医学専門の先生ですから、漢方薬が効いたのかどうかは先生もわからないと言われましたが、
よほど妊娠しにくい状態だったようなので、とにかく先生は驚いて、
普通なら妊娠がわかると「おめでとうございます。」と言ってくださるのですが、
先生はエコーの映像を見て信じられないとおののきながら、
「できてるよ~」と声を震わせておられて、とうとう「おめでとう」を言いそびれてしまったのです!
敏腕でキャリアの長い部長先生ですから、よほどのことだったのでしょう。
そして、「(エコーの映像が)去年と全然違う。心拍がしっかりしている。」と言われました。
流産を乗り越えるために日記を書いた
いつまでも悲しんでいるだけではいけない、
夫の毎日のお弁当作りも再開しなければならないと、
翌月から大学ノートに日記を書き始めました。
まずは夫のお弁当作り再開の日記
まずは夫のお弁当の記録から。流産はしたけど、妻として必要とされていることが心の支えでした。
流産後の最初の生理は、産婦人科のお医者さんの薬によってやってきました。8日間、出血と痛みがガンガン続きましたが、
漢方薬局の薬剤師さんに、ナロンエースなどの痛み止めの薬は、
子宮内のよけいなものの排出を妨げるから飲んではいけないと言われていたので、漢方薬だけを飲んで、
ナロンエースを飲むのは身震いしながらも必死に我慢していました。
ナロンエースなどの鎮痛剤は、血流を抑えることで痛みを止めるので、排出されるべき瘀血(おけつ)が排出されなくなるとのことでした。
普通の生理痛と違って、痛みに波があり、まるで弱い陣痛のようでした。
痛みに耐えながら8日間がたち、明け方に強い痛みがあった日の午後、トイレでなにかが排出された感覚とともに
さーっと気分が爽快になり、痛みが去りました。
そのことを漢方薬の薬剤師さんに話すと、よくがんばって痛み止めを我慢しましたね、もう大丈夫です、と言われました。
翌日には、産婦人科のお医者さんに診ていただき、たぶん子宮内に残っていたよぶんなものが全部排出されたのだろうとのことでした。
86歳の現役最年長の山岳サイクリ二スト男性の新聞記事に励まされる!
ひどい痛みから開放されて、ほっとしたころ、
新聞記事でとても元気なおじいちゃんが自転車とともに爽やかな笑顔で写っている写真に目が留まりました。
その写真と記事を、大学ノートの日記に貼り付けました。
86歳のおじいちゃんは、61歳で胃癌になりましたが、鍛えた体と努力で乗り越え、現役続行中でした。
食事も奥様に任せきりにせず、雑炊や豆中心のメニューを自炊し、
衣類は手洗いして固く絞り、握力を鍛えておられるとのこと。
「百歳まで現役スキーヤーだった三浦敬三さんを目標に、一日でも長く、美しく楽しく走り続けたい」とおっしゃっておられました。
さらに「若い世代へ」と題してコメントが載っていました。ここに引用致します。
自分の伸びる芽摘むな
何があっても絶対にあきらめてはだめ。あきらめず、前向きに生きていれば、きっといつか出会った人に助けられる。その「運命の出会い」に気づき、逃さずつかむには、日ごろからコツコツ努力することだ。小さいことをばかにする人に大きいことはできない。分度器の一度だって、角の始点は目に見えないほど細かいが、ずっと先へ行けば弧は無限だよ。夢を捨てずに「昨日より今日、今日より明日」と生きる。自分で自分の伸びる芽を摘んじゃいけない。
私よりはるかに高齢のかたがこんなに頑張っておられる、そして若者にエールを送ってくださっている・・・
私もまだあきらめないで頑張ろうと、決意を新たにしました。
漢方薬局の薬剤師さんも精一杯応援してくださいました。
そして、また赤ちゃんは来てくれると信じて、まだ見ぬ我が子のために毛糸の靴下を編みました。
きっと力強く足を踏み鳴らしてやってきてくれるんだと信じながら編みました。
流産のだいぶ前から、おなかに赤ちゃんがくることを願って編んでいたベビーシューズもセレモニードレスも続けて編み、完成させました。
そして、翌年の3月末、また桜の季節がやってきました。
天に宝を積みなさい
桜が散るのと同時に天に帰った我が子を想いながら、夫が仕事に行っている昼間、涙をこらえてひとりで桜並木を歩いていました。
川沿いの桜並木から広い空を見上げていました。すると、不思議なことがありました。
空から
「天に宝を積みなさい」
という言葉がひらひら舞い降りてきて私のおでこにピタッと張り付いたという不思議な感覚がありありとあったのです!
肉眼で見えたわけではありません。しかし、私には映像のようにはっきりと見え、おでこにはっきりと張り付いた感覚があったのです!
そして、その瞬間、流産で亡くなった我が子は今、確かに天にいると確信しました。
それと同時に、「もしかして?!」という母としての直感が働き、急いで自宅に帰り、妊娠検査薬を試してみると、
妊娠していたのです!!!!!!
夫にあわててメールしました!
あの子は生きている
「天に宝を積みなさい」
この言葉は、新約聖書ルカによる福音書12章33~34節にあります。
・・・朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。
あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。
私たち夫婦はクリスチャンで、聖書の神様を信じています。
聖書は、神の御子イエス・キリストを信じるものは永遠の命が与えられる、と約束しています。
御子を信じる者は死んでも生きるのです。
私は、流産で先に亡くなったあの子が天で生きていると確信しています。
今、あの子が天でこのブログを書くことを応援しているとはっきりと感じるのです。
あの子は生きています。
私には二人の子がいるのです。ひとりは天に、もうひとりは地上に。
そして、今日は「母の日」です。私はほんとうに神様に祝福された母です。
「お母さん、がんばれ!」と天であの子が言っています。
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