日本で子どもへの虐待の頻度が高まり、衝撃的な悲しいニュースが目立っています。
国連の子どもの権利委員会は、対策強化を政府に勧告しました。
2019年6月19日、親の体罰禁止と児童相談所の介入強化を盛り込んだ改正児童虐待防止法と
改正児童福祉法が参院本会議で全会一致により可決、成立し、
2020年4月から適用されます。改正法では、
親が「しつけ」を言い訳にして体罰を加えることはみとめられません。
虐待はなぜ起きる?
しつけと体罰、虐待についてどう考えたらいいのか、と
思いを巡らせているママは多いのではないでしょうか?
いっしょに考えてみましょう。
臨床心理士信田さよ子さんのお話
わが子を虐待してしまう親は、自分自身が親から虐待を受けていて
世代間連鎖 を起こしていると、臨床心理士信田さよ子さんは指摘しています。
(現代ビジネス「世代間連鎖を防ぐ子育て論」)
カウンセリング治療が親子2世代ともに必要なことが多いのです。
親に無造作に扱われ、ひどい言葉を投げかけられて育った親は、
例えば1歳半にしかならないわが子が天真爛漫に自由奔放に生きている姿を見ると、
とても贅沢でわがままに見えて腹立だしくなる、
つまり親が子供に無意識に嫉妬した状態になると、信田さよ子さんは指摘しているのです。
ふつうは親が子供に嫉妬などしないと考えられますから、
親は自分の無意識の嫉妬に気づかないのです。
イライラするのは、子供がわがままだから、ぜいたくだから、親を怒らせる子供が悪いからだと、
イライラの原因を自分自身の嫉妬という問題ではなく、腹を立てさせた子供の問題とするのです。
DVをした夫が、「妻が自分を怒らせたのだ」と主張するのと同じです。
学校でいじめた側の人間が、いじめられた側にいじめの原因があると主張するのと同じですね。
痴漢をした人間が、電車内で短いスカートを履いている女子高生が悪い、と言うのと同じです。
信田さよ子さんは、虐待が生まれる背景には、このような逆転、つまり、
相手がそうさせているという主張が起きていると、指摘しているのです。
親の自分に問題がある、親の自分の責任だと考えるところを、
子供がわざと自分をいじめて苦しめている、つまり、子供の責任にしているのです。
虐待する親は例外なく必ず「子供が言うことをきかなかった」と言って、
子供に責任を負わせています。
「子供のせいにすることがすでに虐待だ」と信田さよ子さんは指摘しています。
まだ子供に手をあげていなくても、
子供のせいにしている時点で虐待は始まっているのです。
児童精神科医杉山登志郎先生のお話
一見、虐待とは関係なさそうな「愛のムチ」についてはどう考えたらいいのでしょうか。
ひどい体罰を長年にわたり受けて育った親は、
しつけと称して体罰を奨励する人が多くいます。
児童精神科医杉山登志郎先生は著書『子育てで一番大切なこと』で次のように言っています。
・・・愛情があれば体罰だって良いんだ、なんて議論があるでしょう?
”愛のムチと虐待とは違うんだ”とか。
ところが、愛があると判断されるような体罰でも、脳の萎縮は確実に起きてくる。
萎縮するのは、前頭前野という考えることを司るとても大事な箇所です。
体罰はどんなものであっても、とても大切なところにマイナスの影響を与えることが、
この研究で明らかにされたのですよ。
この研究とは、トップ研究者の医師友田明美先生による一連の研究のことです。
子育てで一番大切なこと 愛着形成と発達障害 (講談社現代新書) [ 杉山 登志郎 ]
医師友田明美先生の研究結果
友田明美先生は、虐待と脳の関係を解き明かした研究の第一人者です。
虐待が脳に与える影響を、世界で初めて科学的に立証しました。
愛のムチでも脳は萎縮する
友田先生は、ハーバード大学で児童虐待における研究の世界的権威、
マーティン・タイチャー博士とともに共同研究を行いました。
研究は米国で、4~15歳のころに平手打ち、ムチで尻を叩かれるのなどの
体罰を年12回以上、3年以上受け続けた米国人23人の脳の
MRI画像を撮影し、解析しました。
比較すると、感情や理性を司る前頭前野の一部が、
約19%萎縮していることがわかりました。
また、暴言を浴びせられることで、聴覚野は変形し、
DVを目撃することで視覚野は縮小します。
「見たくない、聞きたくない、言いたくない」という気持ちが
脳の変形として表れているのです。
子供のころに体罰を受けると、行為障害や抑うつなどの精神症状が起きることはすでに
知られていましたが、こうした脳への影響がはっきり解明されたのは初めてでした。
体罰をしつけのためと言って、「愛のムチ」と美化したり、
「おしりペンペン」などと軽く幼児用言葉に言い換えても、
脳は明らかに、「虐待を受けた」として反応しています。
脳にとっては、体罰=虐待 です。
体罰によって高まる問題行動のリスク
厚生労働省の調査データ約2万9000人分から分析すると、
体罰によって子供の問題行動(我慢できない、感情をうまく表せない等)の
悪影響のリスクが高くなることがわかっています。
(毎日新聞2017年7月31日記事、東京医科歯科大学藤原武男教授・
ハーバード大学イチロー・カワチ教授らの研究チーム)
現在250以上の研究で、体罰の悪影響と関連づけられる結果が明らかになっていますが、
体罰のメリットを立証している研究結果はありません。
(子どもに対する体罰:その影響と関連性についてのリサーチ要約2016、
子どもすこやかサポートネットHPより)
子どものころに体罰を受けて育った人は、あえて体罰を奨励する人がいますが、
そのような人に、体罰はいけないと言っても聞き入れようとしないのはなぜでしょうか。
それは、自分の今までの人生を肯定したいからです。体罰はいけないと認めると
自分の人生が根底から揺らいで否定されてしまうからです。
こうして体罰は世代間連鎖していきます。
しつけの目的は?しつけと体罰との違いは?
しつけの目的と体罰の目的を比較すれば、
しつけと体罰の違いがはっきりしてきます。
しつけの語源から考えてみましょう
しつけの語源は諸説ありますが、そのひとつは
仏教用語の「じっけ(習化)」から来ているという説です。
「じっけ」とは、「習慣化する」ということです。
つまり、しつけの目的は、
子どもが「する」「しない」という能力を発達させることです。
それに対して体罰の目的は、
大人が力をかけて「なにかをさせる」「やめさせる」ということです。
しつけの主語は、子ども。
体罰の主語は大人です。
子どもが主語、つまり、子どもが自発的にセルフコントロールできるのがしつけ。
大人が主語の体罰は、他者からの抑制、外部からのコントロールです。
しつけと体罰の結果は同じでも中身は正反対
結果として、子どもがいけない行動をやめることは同じでも、
しつけは自律、体罰は他律という正反対の内容になるのです。
他律の体罰ではセルフコントロールは形成されず、大人になっても常に
誰かに罰してもらわないと行動抑制できない未熟な人間になってしまいます。
しつけのために体罰をすると言っても、実際のところ
体罰で、しつけの目的「自己調節能力・自己抑制能力」の形成はできないのです。
体罰をすれば、体罰には効果があるという手応えをすぐに得られる。
だが、教育の目標は、
子供が将来、自らをコントロールできるようにすることだ。
その点において、体罰には効果がない。
コロンビア大学大学院社会福祉学研究科マイケル・J・マッケンジー准教授
叩くことは効果的な罰し方ではなく、
このような形でつらい過去を経験した子供たちにとっては特に、悪い前例を作ることになる。
体罰は、暴力を振るうことが答えなのだと子供たちに教え、
子供とその保護者の信頼関係を損なうのだ。
児童虐待を防止するための団体NSPCCのフィリップ・ノイーズ氏
自分で考えることができる小学1年生!札幌トモエ幼稚園の教育
札幌トモエ幼稚園で育った小学1年生の男の子が、思慮深いすばらしい言葉を残していますので、
この幼稚園の教育について見ていきましょう。
外部コントロールをかけたがる親がいますが・・・
札幌トモエ幼稚園HPによりますと、
世間には、「子どもに外部コントロールをかけなきゃダメだ」と
本気で信じている人がいるそうです。
「自由に、伸び伸びと育てると小学校にいって困る」
「先生の言うことを聞いて、何でも出来る子どもにしたいので、
しつけ、規律の厳しい所にいれて」
「みんなと同じことができる子どもになってほしいので、画一教育のところで」
と言う人がいます。
その結果どうなっているのか見ているのだろうかと、
札幌トモエ幼稚園は疑問を投げかけています。
子どもが自ら身につけていく教育
札幌トモエ幼稚園は、送迎バスで泣いて登校拒否する子を
無理やりバスに乗せるやり方は子供の人格無視だとはっきり言っていて、
親子を無理に離さない教育をしています。親もいっしょに園の活動に参加できます。
親子のほどよい距離感と、あたたかい大人たちの見守るまなざしの安心感の中で、
子どもたちは大自然の中で自ら発見していく喜びを通して
人間に大切な自発、主体、想像、創造、協調、社会性を自ら身につけいきます。
もちろん体罰はありません。
3歳からトモエ幼稚園でご家族と過ごした小学1年生の男の子の言葉に驚かされます。
自由って何をしてもいいっていうことではなく、
何をしていいのか、悪いのか、
自分で考えなければいけないんだよ。
小学1年生でここまで考えられる思慮深さに感銘を受けました。
大人が子供に体罰をしなくても、
子どもは3歳から主体的、自発的な生活を大切にすれば、
こんなにりっぱに育つのです。
体罰されていたら、この言葉が出たでしょうか。
「大人にキビシク罰してもらわなくちゃダメなんだよ、
自分じゃなにもできないよ」と言いかねないのではないでしょうか。
親は子を養育する責任がありますから、
子どもと友だちのように対等の立場ではありませんが、
親の立場が上だからといって、親が子どもを支配するのは間違いです。
また親が、子どもの目線に腰を下ろして同じ高さで説得することはあっても、
子ども同士のようにバトルするのは、親としての責任逃れで未熟です。
いけないことには毅然とした態度で「ノー」と言い聞かせなければなりません。
しかし、言い聞かせることと、体罰とは別物です。
体罰を奨励する大人に聞きます。
その体罰、ほんとうに必要ですか?
体罰によって子どもは何を得るのでしょうか?
親は今一度、よく考える必要があると思いませんか?
まとめ
- 2020年4月から適用される改正児童虐待防止法と改正児童福祉法では、親が「しつけ」を言い訳にして体罰を加えることはみとめられません。
- わが子を虐待してしまう親は、自分自身が親から虐待を受けていて、世代間連鎖を起こしています。
- 虐待されて育った親は、幼いわが子が天真爛漫に自由奔放に生きている姿を見ると、とても贅沢でわがままに見えて腹立だしくなる、つまり親が子供に無意識に嫉妬した状態になります。
- イライラの原因を自分自身の嫉妬という問題ではなく、腹を立てさせた子供の問題として、子供の責任にすることがすでに虐待の始まりです。
- 愛のムチでも、脳は萎縮し、変形します。脳にとっては、体罰=虐待 です。
- 体罰を受けて育った人は、あえて体罰を奨励する人がいますが、それは、自分の今までの人生を肯定したいからであって、体罰はいけないと認めると、自分の人生が根底から揺らいで否定されてしまうのです。
- 子どもが自発的にセルフコントロールできるのがしつけで、体罰は、他者からの抑制、外部からのコントロールです。
- 教育の目標は、子供が将来、自らをコントロールできるようにすることであり、体罰にはその効果がありません。
反抗期など育児の壁を感じることも多々ありますが、
親が子供をコントロールするのではなく、子供の自発的なセルフコントロールをはぐくめるように
誠実にわが子と向き合っていきましょう。
コメント
おはようございます。
子育てに、体罰や虐待は必要ないですね。
頭ごなしではなく、自分で考えられるように
育てるのが一番大事な事ですね。