こんにちは! みわんこさんです。
私は大江光さんの音楽が大好きで、もう30年以上、光さんの曲を弾き続けて味わっています。
作曲家大江光さんは、ノーベル文学賞作家大江健三郎さんの息子さんですが、2023年3月3日、父・健三郎さんが老衰のため88歳で亡くなり、障がいを持つ光さんのことがとても心配になって調べてみました。
そこで今回は
- 大江光さんの現在は
- 音楽の基となる父・大江健三郎さんとの親子関係
- 大江光さんの家族構成
についてご紹介します。
この記事で、大江光さんと父・健三郎さんの深い絆を知り、光さんの優しい魂と触れ合えば、あなたの心に安らぎの翼が舞い降りることでしょう。
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大江健三郎の息子(大江光)の現在は?
大江光さんのいちばん新しい第4作の CD「もう一度大江光」は、2005年に発売されました。
父・大江健三郎さんの古希をお祝いするCDであり、健三郎さんに捧げる「70歳になったソナチネ」が含まれています。
このCD発売の2005年以降、2023年3月現在まで、光さんの新しい音楽の発表はありませんが、光さんは、健三郎さんの講演に伴い、登壇する機会も多くありました。
光さんは、1963年6月13日生まれで、2023年3月現在59歳です。
7年間の空白期間は音楽理論の勉強中だった
2005年発売の第4作「もう一度大江光」の前にリリースされたCDは、第3作のCD「新しい大江光」で、1997年のことでした。
この空白の7年間に、光さんはピアニストで作曲家の加羽沢美濃さんから音楽理論を学んでいました。
光さんは一日中音楽を聴いていますが、その美しさがどのように成り立っているのか、そのしくみを勉強するおもしろさに光さんは作曲することを忘れるほどだった、という父健三郎さんのお話が、2005年6月11日、6月12日コンサート「もう一度 大江光」のパンフレットに載っています。
音楽理論の勉強に熱中する年月を経て、光さんは再び新しく楽譜を書くようになり、過去のものを推敲したり、日々の暮らしを日記に書くように音楽にしていったとのことです。
光さんは「音楽を生きている」と健三郎さんは言っています。
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大江光さんは現在「音楽を生きている」
このように、2005年時点で、音楽理論の勉強を積み上げた光さんが、より自然に音楽を生きるようになっていることが、父・健三郎さんの言葉でわかりました。
大江光さんは髄膜瘤の手術後という基盤を持った,知的障害を伴う自閉症であることを、児童精神科医であり自閉症が専門の杉山登志郎先生が「わが国の自閉症の現状」の講演で述べておられ、新潟大学教育人間科学部長澤正樹助教授も「ようこそ、私たちの世界へ 〜自閉症のある子どもの理解と支援〜」の講演で、大江光さんがサヴァン症候群と思われると述べておられます。
(光さんは特異な記憶力で、バッハの1040曲、モーツァルトの626曲を、楽章の構成まで詳細にわたり正確に記憶しているそうですから、サヴァン症候群と思われるのも納得できます。)
さらに、光さんは視覚にも障害があり、足にも軽度ながら問題があるので走ることができず、さらにてんかんの発作もあります。
てんかんの発作が出るようになってからは、光さんは死についても考えるようになりました。
このような日々の中で、自身の思いを音楽で表現し、音楽を生きる光さん。
光さんの音楽は現在も根強い人気があります。
児童精神科医の杉山登志郎先生も、作業中によく聴いておられるとのことで、光さんの音楽に非常に豊かなものを与えられると言われました。
多くの人々が、光さんの音楽の素直で純粋で叙情的な音楽性に魅了され、優美な美しさに感銘を受けました。
肩ひじ張らずに気負うことなく聴くことができ、童謡にも似たなつかしいメロディーに心癒されます。
光さんの曲は、不思議なくらい鳥の声と調和します。
海外の人々にも、光さんの音楽の素朴な美しさは感銘を与え、世界中の人々の心の琴線に触れています。
20世紀後半以後を代表する偉大なチェリストであり、指揮者のロストロポーヴィチさんと「世界のオザワ」の異名をもつ指揮者、小澤征爾さんは、光さんの音楽を深く愛しています。
小澤さんは、自身の演奏会後に帰宅すると、光さんのCD『大江光の音楽』を聴きます。
光さんの第1作目のCD『大江光の音楽』が発売されたのは、1992年、光さん29歳の時です。
まだアメリカ人には知られていない若い作曲家(光さんのこと)の音楽が、自分を慰め、励ましてくれる、と小澤さんは語りました。
偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチさんは、光さんに新しい曲を頼み、ピアニストのマルタ・アルゲリッチさんとともに、小澤さんの還暦祝いのコンサート(1995年9月1日)で、光さんの新曲「A Talk(おはなし)」を演奏しました。
このコンサートはNHKでも放送されました。
また、大江健三郎さんが小澤征爾さんとともにテレビに出演し、二人で光さんのことを話しているときには、マエストロ小澤征爾の眼から涙があふれたといいます。
光さんは、現在、父健三郎さんが願ってきたように、社会と、世界とつながっているのです。
光さんの音楽を聴く世界中の人が、光さんと心の対話をしています。
私は光さんが作曲したピアノ曲を弾いてYouTubeに投稿していますが、何度弾いても味わい深く、飽きることがありません。
私は親しみを込めて「光くん」と呼んでいます。
弾く前に、「光くん、こんにちは」と声をかけて弾き始めます。
大江光さんの音楽に秘められたメッセージ性
大江光さんの音楽を単純すぎて幼稚だと酷評する人たちがいます。
しかし、光さんの音楽は、童謡のようにわかりやすくシンプルなメロディだからこそ、聞き手に心がダイレクトに伝わります。
シンプルさの中に、確実ではっきりとしたメッセージ性があるのです。
AmazonのCEO、ジェフ・ベゾス氏は、言葉のシンプルさを重要視しており、優秀なプリンストン大学の卒業生に、12歳の子供にもわかる文章でスピーチを行い、彼らを奮い立たせました。
スピーチやプレゼンテーションの内容がシンプルでわかりやすいほど、聞き手はメッセージを記憶し、それに基づいて行動を起こす可能性が高くなります。
複雑なアイデアをシンプルに表現することは、コンテンツの「レベル低下」を招くのではなく、それこそが競合他社を打ち負かす力になることを、ジェフ・ベゾス氏は、知っていました。
単純であること=幼稚なこと ではないのです。
光さんのシンプルな音楽は、人の心を動かすメッセージ性の強い「言葉」として、大成功を収めています。
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音楽の基となる父・大江健三郎との親子関係
光さんは、脳に重い障がいを持って生まれました。お医者さんからは手術をしても生き延びるかわからないと言われ、苦悩した父・大江健三郎さんは、「光に向けての希望」との思いを「光」という名前に託しました。
大江光さんの音楽は、心を癒し、悩みの底にいる人々に、その名の通り、「希望の光」をもたらします。
コミュニケーションの最初は鳥の声
光さんは障がいのために、4歳になってもしゃべらず、クラシック音楽、童謡、鳥の声などにのみ関心を示しました。
健三郎さんは、NHKの技術班がつくった鳥の声のテープを光さんに子守唄のように聴かせました。
それぞれの鳥の声のあとに、アナウンサーの声音(こわね)が鳥の名前を言うテープです。
光さんのコミュニケーションの最初は鳥の声だったのです。
6歳のとき、林の中で美しい鳥の声を聴いた光さんは、健三郎さんに肩車されながら、突然、「クイナです」と話しました。
光さんの自発的な言葉はこのときが初めてでした。
それ以後、光さんは並外れた記憶力で、それらの鳥の声を全部覚えてしまったとのことです。
のちの音楽の基となる絶対音感も、この鳥の声から得たと言われています。
鳥の声から音楽へ
7歳になって光さんは、小学校の「特殊学級」に入学します。
他の障がいを持った子供たちは、いつも大きな声を発したり、常に動き回っていすを倒したりする子もいて、光さんは、最初、両手で耳を押さえていつも身を固めて耐えていました。
健三郎さんは、学校でのその様子を見て、「光さんが学校に通う意味は何か」と苦悩しましたが、光さんは、他にも大きな音が苦手なお友達を見つけて、教室の片隅で手を取り合っていっしょに耐え忍ぶようになったということです。
そして、他の友達から離れて2人でFMの音楽放送を聴くようになり、音楽は鳥の声よりもよくわかる「言葉」だと気付きます。
2人はバッハやモーツァルトなどの作曲家の話をしながら音楽を楽しみました。
さらにお母さんによってピアノに接した光さんは、11歳から田村久美子さんのピアノレッスンを受けるようになり、13歳で作曲を始めました。
成長とともに言語を習得していくうちに、鳥の声への関心は薄れていき、音楽がコミュニケーションの「言葉」となっていきます。
光さんの作曲一覧はこちらです↓
1992年 | 第1作 CD「大江光の音楽」リリース | クラシック部門で92年のゴールドディスク大賞を受賞 |
1994年 | 第2作 CD「大江光ふたたび」リリース | 94年のレコード大賞企画賞、ゴールドディスク大賞(クラシック部門)を受賞 |
1996年 | 映画「静かな生活」 | 「日本アカデミー賞優秀音楽賞」を受賞 |
1997年 | 第3作 CD「新しい大江光」リリース | |
2005年 | 第4作となる最新アルバム「もう一度大江光」リリース | 父大江健三郎さんの古希をお祝いするCD |
言語の習得によって、光さんの音楽はさらに豊かになったのです。
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父健三郎さんが望む親子関係は「ゆるやかな絆」
大江健三郎さんは、光さんが障がいを持って生まれたという苦悩を、小説『個人的な体験』『新しい人よ眼ざめよ』などの作品にして発表し、障がいを持つ息子とともに生きることについて真摯に向き合いました。
父健三郎さんが、光さんがどのように人と社会とつながっていけるようになるかを模索・追求する中で、光さんは音楽という「言葉」を得たのです。
2006年4月18日朝日新聞朝刊には、71歳の健三郎さんが、42歳になった大江光さんの自立歩行のための訓練に寄り添い、光さんがてんかんの小さな発作を起こすときも、自分よりも重くなった光さんが石につまずいてころんだときも、黙々と介抱するようすが書かれています。
しかし、健三郎さんは、光さんが子供の頃から、親の亡きあとも光さんが自立して社会とつながって生きていける道を模索しており、親は子供を心配してきつい絆を結ぶよりも、子供の自立を考えて子離れし、ゆるやかな絆にしておかないといけないと言います。
光さんが自分の中の豊かな泉を、自分でしっかりと確かめ、それを他の人に伝え、社会とつながっていく、それが父大江健三郎さんの願いです。
光さんが社会とつながるための「言葉」は音楽となりました。
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大江光さんの家族構成は?
大江光さんの家族は、お父さん、お母さん、妹さん、弟さんの5人です。
大江光さんの家族構成
- ご本人:大江光 1963年6月13日生まれ
- 父:大江健三郎 1935年1月31日生まれ
- 母:大江ゆかり 1935年2月18日
- 妹:大江菜摘子(なつみこ)1967年生まれ
- 弟:大江桜麻(さくらお) 1969年生まれ
大江光さんとともに生きる大江ファミリーについては、父・健三郎さんによる「恢復する家族」「ゆるやかな絆」という2つのエッセイがあります。大江健三郎文学は超難解というイメージがありますが、この2つは平易でわかりやすい内容です。↓
父はノーベル文学賞作家の大江健三郎
大江光さんの父、大江健三郎さんはノーベル文学賞作家です。
『個人的な体験』をはじめ、『新しい人よ眼ざめよ』のように、自身と光さんをモチーフにした作品をいくつも発表しています。
光さんは「イーヨー」や「アカリ」といったさまざまな名前で多くの作品のキーパーソンとなっています。
光さんは大江健三郎文学の創作の礎となりました。
健三郎さんは、光さん誕生の年に原水爆禁止世界大会を取材し、原爆病院の医師や原爆生存者の証言をもとに『ヒロシマ・ノート』を出版し、反戦反核を訴え続けました。
社会の弱い立場の人々と実際に行動をもって深くつながる人でした。
2023年3月3日享年88歳で老衰のため亡くなりました。
ご冥福をお祈りいたします。
1994年にノーベル文学賞を受賞した作家の #大江健三郎 さんが、今月3日に老衰のため88歳で亡くなりました。写真は2005年4月、自宅でのインタビューの合間にくつろぐ大江健三郎さんと、息子で作曲家の #大江光 さんです。
写真特集→https://t.co/hzjgr4bKct pic.twitter.com/sVKUJGkCPr— 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto) March 13, 2023
母は俳優の伊丹十三さんの2歳年下の実妹
大江光さんの母は、映画監督、伊丹万作さんの長女で、映画監督・俳優の伊丹十三さんの2歳年下の実妹、旧姓池内ゆかりさんです。
伊丹十三さんと大江健三郎さんは愛媛県立松山東高等学校で仲のよい同級生でした。
ゆかりさんは、1935年2月18日、京都生まれで、健三郎さんと25歳で結婚しました。
健三郎さんの作品「ゆるやかな絆」「恢復する家族」「自分の木の下で」などで、ゆかりさんは、味わい深い挿絵を描いています。
光さんのピアノ体験は、お母さんのゆかりさんからということです。
妹は大江菜摘子(なつみこ)さん
大江光さんの妹、菜摘子(なつみこ)さんは、大江桐朋女子中学・高等学校に進学、上智大学を卒業しています。
「ゆるやかな絆」(講談社)によると、お兄さん想いの優しい妹さんで、大学で障がいを持つ人のためのボランティアサークルに参加していました。
芯がしっかりして勇敢さを秘めている方です。
弟は大江桜麻(さくらお)さん
大江光さんの弟、大江桜麻(さくらお)さんは、東京大学農学部応用昆虫学専攻、農学修士を修めています。
お父さんの健三郎さんは、文系で才能発揮されましたが、桜麻(さくらお)さんは、理系分野で力を発揮されています。
『新規殺虫剤ジノテフラン(スタークル)の天敵類に対する影響』など、殺虫剤、農薬などに関する6つの論文を発表されています。
大学卒業後は三井化学アグロ株式会社に勤務されました。
二児の父です。
大学生の頃、作業所まで毎日通う光さんに付き添って送っていた優しい方です。
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大江光さんの現在まとめ
以上、今回は、
- 大江光さんの現在は
- 音楽の基となる父・大江健三郎さんとの親子関係
- 大江光さんの家族構成
についてご紹介しました。
光さんのシンプルな音楽は、人の心を動かすメッセージ性の強い「言葉」として、大成功を収めており、光さんは現在、父・健三郎さんが願うように、社会と、世界とつながっています。
大江光さんの音楽を単純すぎて幼稚だと酷評する人たちがいる中、20世紀後半以後を代表する偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチさんや「世界のオザワ」の異名をもつ指揮者、小澤征爾さんが光さんの音楽を深く愛しているということに、光さんの音楽が「不動の輝き」を放っていると再確認できました。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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