小澤征爾のすごいと言われる理由は?海外の反応や指揮スタイルについても徹底調査!

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2024年2月6日、小澤征爾さん(享年88)が亡くなり、世界中が悲しみに包まれました。

ふだん普段クラシック音楽を聴かない人々は、指揮者小澤征爾「世界のオザワ」って、どうしてすごいと言われるのだろうと、改めて小澤征爾さんに興味を持つ声が増えています。

今回は、

  • 小澤征爾のすごいと言われる理由は?
  • 海外の反応や指揮スタイルについても徹底調査!

についてお話いたします。

クラシック音楽をあまり聴いたことがない人も、小澤征爾さんの指揮する「G線上のアリア」なら聞いたことがあるかもしれません。

小澤征爾さんの追悼として、29年音楽監督を続けたボストン交響楽団も、小澤征爾さんが設立した新日本フィルハーモニー交響楽団「G線上のアリア」を演奏しました。

記事後半では、小澤征爾さんと「G線上のアリア」についてもお話します。

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小澤征爾のすごいと言われる理由とは?

小澤征爾さんのすごさは、やはりバイタリティー溢れる人間性の深さに源を発しています。

天才音楽家である前に、まず大胆不敵で情熱的な冒険家、その上とても人懐っこいチャーミングな人という面が見えてきます。

小澤征爾さんは、決して裕福な環境で育ったのではありません。幼少期から音楽の早期教育を受けたのでもありません。

戦後の生活苦の中でも家族全員が小澤さんの才能を支える熱い思いには感銘を受けます。

小澤征爾さんの生涯を見ると、まさに音楽は人を表すということが実感できます。

ここからは、小澤征爾さんのすごいと言われる理由について、

  • 稀な経歴
  • やる気を起こさせるカリスマ性
  • 子供に音楽のすばらしさを伝える音楽活動

という3つのポイントでお話しますね。

稀な経歴

小澤征爾さんと言えば、短大卒業後の武者修行の旅のバイタリティーに圧倒されます。

単身ヨーロッパ武者修行

当時、音楽・演劇の名門校桐朋学園短期大学を卒業した小澤さんは、西洋音楽をもっと知るためには海外に行く必要があると悟り、自分で手配した貨物船に乗り込んで渡欧し、自分で手に入れたスクーターに乗ってギターを担いで、単身ヨーロッパで武者修行の旅を行いました。

そしてまだ、フランス語が話せない状態にも関わらず、さっそくフランスの国際青年指揮者コンクールで優勝します。小澤さんの情熱的で大きなアクションが、言葉を超えて審査員も楽団員も魅了したのでした。

↓こちらの小澤さんの自叙伝的エッセーに、単身ヨーロッパ武者修行について詳しく書かれています。↓

戦後の生活苦の中でピアノを入手

音楽家というと、現代では幼稚園入園前後から早期音楽教育を受けてピアノを習う流れが多いですが、小澤征爾さんはもともと決して音楽エリートとして育ったのではありません。自宅にはピアノはなかったので、小澤さんの上のお兄さんは通学していた旧制府立第二中学校の講堂のピアノを特別に使わせてもらっていたのです。小澤さん自身もお兄さんについて行ってそのピアノを弾かせてもらいました。

こうして戦後、中国からの引き揚げ後の生活苦の中で、小澤さんは10歳の時に、上のお兄さんからアコーディオンとピアノを習いました。そして、小学6年生の時に二人のお兄さんが、才能ある小澤さんのためにお父さんにお願いして親戚からピアノを購入してもらったのです。この二人のお兄さんとお父さんは、横浜市白楽から東京都立川市の自宅までピアノをリアカーに縛り付けて3日かけて運びました。途中、急な下り坂で転落しそうになるところを3人で力を合わせてくい止めたとのことです。

ラグビーをやりながらピアノの才能を示す

中学生になると、ピアニスト豊増昇さんからピアノを習いながらも、ラグビー部に所属し主要メンバーとして活躍しました。1チームの人数が野球やサッカーよりも多いラグビーで、地に足のついたコミュニケーションと痛みを共有する一体感を体験し、強い精神力を養いました。ラグビーの試合で大けがをしてピアニスト志望から指揮者志望へ変更するのですが、ラグビーで一斉に取り組む団結力は、指揮者になってからのオーケストラとの絆にも通じるものがあり、生涯を通して小澤さんはラグビーを愛する人でもありました。

ちなみにピアニスト豊増昇さんは、小澤さんのピアノの天才的な才能に気づいていたので、途中からレッスン料をとらなかったといいます。小澤家では私立の成城中学校の学費が払えずに学校の掲示版に滞納の旨がよく張り出されたとのことですから・・・。

 ピアニスト志望から指揮者志望に変更

ピアニスト志望から指揮者志望に変更した小澤さんは、中学生のときに、チェロ奏者で指揮者の斎藤秀雄さんに弟子入りして勉強します。斎藤秀雄さんは、音楽教育者として多大な業績を残した人です。中学生の男の子がたったひとりで訪ねて弟子入りを申し込むのですから、斉藤さんもその行動力に驚いたそうです。斉藤さんは、短気で癇癪もちで指導は超スパルタでしたが、小澤さんはラグビーで培った精神力とコミュニケーション力で斉藤さんの有能な助手となり、生涯に渡る深い師弟愛の絆を結んだのでした。

指揮でもピアノ伴奏指揮者としても頭角を現す

中学3年生のときには、自分で指揮をするために合唱団を新しく作り、幼い頃から親しんだ讃美歌の中でも、「讃美歌95番 わがこころはあまつ神を」を練習し、指揮しました。これが指揮者としての原点になります。

桐朋学園短期大学在学中は、指揮の勉強はもちろん、ピアノも堪能で、名伴奏指揮者としても頭角を現しました。

卒業後は群馬交響楽団を客演指揮し、日本フィルハーモニー交響楽団では副指揮者となりました。

しかし、小澤さんはさらにもっと西洋音楽を知りたくて、単身、貨物船とスクーターで、渡欧の武者修行の旅に出たのでした。

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やる気を起こさせるカリスマ性

小澤さんがいるだけで、オーケストラの音が変わるとよく言われます。

小澤さんは、どんなに長い曲でもすべての曲の楽譜を暗譜して、的確に指示してしまう驚異的な記憶力の持ち主です。暗譜するための日々の勉強の努力も怠らない素晴らしい努力家です。

オーケストラ奏者の経験の長さにかかわらず、上下関係を付けずに分け隔てなく意見を聞き、小澤さん自身も率直に意見を言う、そのようなオープンなコミュニケーションができていました。親切で謙虚、思慮深くて溢れる愛情を示す小澤さんに、みんな虜になり、やる気を引き出され、信頼を寄せるのです。

指揮者は自分で音を出すのではないので、作曲家の心情と意図を勉強して演奏家に伝え、聴衆に音楽を届けます。小澤さんは音楽の天才であるとともに、コミュニケーションの天才だったのです。

小澤さんは、ボストン交響楽団の音楽監督を29年間務めました。ひとりの指揮者がこのように長きにわたり、同じオーケストラの音楽監督を務めたのは極めて珍しいことと言われています。それもその驚異的な記憶力とコミュニケーション力の賜物ですね。

子供たちに音楽のすばらしさを伝える教育活動

小澤さんは、1992年に恩師齋藤秀雄さんの名前からサイトウ・キネン・フェスティバル(現セイジ・オザワ松本フェスティバル)を創立し、若い音楽家の教育に尽力しました。その大きな特色で小澤さんが音楽監督を務める「小澤征爾音楽塾」では、小学3,4年生にもわかるようにオペラを日本語で上演しました。

小澤さんは、子どもたちに生の音楽を届けることをもライフワークとしていたのです。

小澤さんは、毎日新聞社主催の、難病の子どもたちのためのコンサート「生きる――小児がんなど病気と闘う子供たちとともに」に出演しています。重病でコンサートに来れない子供たちのためには、合唱団を引き連れて東京都内の病院に駆けつけ、涙で顔をくしゃくしゃにしながら、愛情溢れる演奏をしました。

↓小澤さんは、CDに子供たちへの愛情を込めて、音楽の贈り物をリリースしています↓

教育者としての小澤さんの情の深さとユーモアセンス溢れる指導力も、小澤さんのすごさのうちのひとつですね。

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小澤征爾の魅力と海外の反応

小澤さんが29年間音楽監督を務めた米国のボストン交響楽団は、次のように声明を発表し、追悼しました。

親切で思慮深く、指揮台ではバレエのような優美さと並外れた記憶力を併せ持った音楽の天才だった。彼の遺産は多くの懐かしい思い出や忘れがたいレコーディングを通じて生き続けている。

参照元:毎日新聞

小澤さんはスポーツ万能で体幹がしっかりしていましたから、ほんとうにバレエのように美しく、大きく腕を動かしてしなやかに身体を使って表現していました。よく子供たちへの合唱指導で、体幹がしっかりしたら手足はもっと自由に緩めて、とアドバイスしていました。

並外れた記憶力とは、膨大な量の楽譜をすべて暗譜し尽している驚異的な記憶力のことを言っているのでしょう。

中国では教科書に取り上げられるほど、小澤さんは親しみ深い存在で、中国メディアも小澤さんの死去を速報して追悼の意を表しています。

オーストリアのウィーン国立歌劇場も、小澤さんの謙虚な人柄と子供たちへの音楽教育の姿勢を懐かしんでいます。

ドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は小澤さんをかけがえのない友人と呼び、哀悼の意を表しました。

フランスメディア(フィガロ紙)は、小澤さんについて「驚異的なリズム感と色彩の錬金術に驚かされる」とたたえ、「クラシック音楽の魔術師」と呼びました。

参照元:Yahoo!ニュース日刊スポーツ

海外での活動が中心だった小澤征爾さんについて、世界中が魅力を語り、大きな反応を示しているのですね。

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小澤征爾の独特な指揮スタイルの特徴について

小澤征爾さんは、チェロ奏者で指揮者の斎藤秀雄さんの指導を血肉として指揮の勉強を確立し、その後はカラヤンさんやミュンシュさんに師事し、バーンスタインの助手として経験を積みました。

そして、東洋人に西洋音楽のクラシックは理解できないという偏見に対して小澤征爾さんは常に謙虚に挑戦しました。

指揮棒を持たない理由

小澤さんが指揮棒を持たずに指揮しているのにお気づきでしょうか。

ウィーンの演奏会でうっかり指揮棒を自宅に置き忘れてしまったのがきっかけで、小澤さんは指揮棒を使わずに指揮するようになりました。

スタッフが代わりの指揮棒を準備してくれたのですが、しっくりこないため、手で指揮したところ、オーケストラの誰も何も言わないので、それからもう20年、指揮棒なしで指揮するようになったとのことです。

このようなことを、小澤さんはNHKの情報番組「あさイチ」(2015年02月27日)で気さくに話されました。指揮棒を持っているとたいへんなこともあるそうですよ↓

そこの鉛筆、あなた持ってごらん。力がいるでしょう?

持っていたら、いろいろと考えなきゃいけない。

落としちゃいけないとか、飛んでいったら大変だとか

参照元:HUFFPOST

指揮者が指揮棒を手に刺したり、指揮棒で手を切ったりというケガをしていることもあるので、指揮棒を持たないことで演奏に集中できるメリットがあるのでしょうね。

指揮棒を持たないことで、指先から細かい繊細な表現が行われているようにも見えます。

小澤さんの指揮の指先のデリケートな表現は、特にバッハの「G線上のアリア」で、限りない優しさとナイーブさを表現し尽すときに際立って美しく感じます。

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G線上のアリアに見られる東洋人特有の間合い

小澤征爾さんの指揮の特徴について、口コミでは東洋人である日本古来の「間」「息」「呼吸」を感じるという声があります。

能、狂言、歌舞伎といった日本独特の間合いの感覚があるという意見です。

音楽評論家の大木正興さんは、小澤征爾さんの演奏には、東洋人特有の色彩感があると言っているとのことです。

私は小澤さんの指揮するバッハの「G線上のアリア」を聴くたびに、西洋音楽という別の文化であるというよりも、日本人の感覚に素直に共鳴する自然界の風の音のように感じます。田んぼの稲穂をかすかに揺らす微風や、木漏れ日の光る森の中でざわめく木々のざわめき、秋の虫の声、そういった日本の自然界の息づかいを感じます。

指揮棒を持たない小澤さんの微妙な手の動きから、メロディーが紡ぎ出されて流れてきます。小澤さんの体内で、西洋と東洋は融合され、国境を越えた音楽が溢れ出ているのです。

小澤さんは、追悼や別れの曲として「G線上のアリア」を何度も演奏してきました。

阪神淡路大震災、東日本大震災、米国多発テロの後の公演の前に追悼として「G線上のアリア」を演奏しました。

阪神淡路大震災の6日後に東京で開かれた演奏会「小澤征爾 32年ぶりのN響」で追悼として演奏された「G線上のアリア」は、今まで聴いたことがないほど繊細で深い慰めの息づかいを感じました。まさに音楽が大きな生き物のように静かに迫ってくる、その息づかいを感じました。↓

<<小澤征爾 32年ぶりのN響 YouTube

また、「小澤征爾 平和への「復活」コンサート」では、小澤さんは次のように聴衆に語りかけています。↓

私たちはこちらに音楽でお祈りをするというつもりでやってまいりました。50年前のこと(広島長崎原爆投下)を思いながら、今日皆さんといっしょにお祈りしたいと思っています。一番最初にやりますバッハのアリアは、特に皆さんといっしょにお祈りするという意味で、バッハのアリアが終わりましたら、そのままで、拍手なさらないで、皆さんといっしょにお祈りしたい、サイレンス、黙とうをお捧げしたいと思います。

<<小澤征爾 平和への「復活」コンサート

もはや「G線上のアリア」と言えば小澤征爾さん、小澤征爾さんと言えば「G線上のアリア」です。

追悼としてボストン交響楽団や新日本フィルハーモニー交響楽団が奏でる「G線上のアリア」が、メディアを通じて世界中に響き渡り、地球の調べとなっています。

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小澤征爾のすごいと言われる理由は?海外の反応や指揮スタイルについても徹底調査!まとめ

今回は、

  • 小澤征爾のすごいと言われる理由は?
  • 海外の反応や指揮スタイルについても徹底調査!

についてお話しました。

小澤征爾さんのすごさは、バイタリティー溢れる人間性の深さに源を発し、天才音楽家である前に、まず大胆不敵で情熱的な冒険家、その上とても人懐っこいチャーミングな人という面が見えてきます。

小澤征爾さんは、決して裕福な環境で育ったのではありませんし、幼少期から音楽の早期教育を受けたのでもありませんでした。

戦後の生活苦の中で家族全員が小澤さんの才能を支えました。また小澤さんを高みへと導く良い師にも恵まれました。

小澤征爾さんの生涯を見ると、まさに音楽は人を表すということが実感できます。

後進の育成に尽力する教育者としての姿勢も世界中から評価されました。

西洋文化のクラシック音楽を、東洋人の感覚を通して国境を越えたものへと昇華させました。

小澤征爾さんの音楽は、いつも地球を包んでいます。

ご冥福をお祈り申し上げます。

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